"We must go on 次の景色へ"に見る嵐

 

 

 

 12/11のMステを見た。2時間SPのうち1時間がまるごと嵐。VS嵐の最終回といい嵐にしやがれの最終回といい、嵐がファンだけでなく業界から愛されていること、愛されるようなグループであること、誇らしくてそれだけで泣いちゃいそうだよ。

 

 そう、泣いちゃいそうなんですよ。最近はもうメンバーの顔見るだけで泣いちゃいそう。そして、昨日のMステを見て、嵐って残酷だなって思っちゃった。なんて切なくてなんて最高なんだろうって、思った。

 

 

 

 言うまでもない、ラスト1曲が『The Music Never Ends』ですよ。そんなの泣いちゃうじゃないですか。

 

 もうすぐそこに終わりを見据えてるアイドルが全力で歌い上げる「TheMusic Never Ends」ってフレーズ、嵐じゃなきゃ納得いかない。嵐だから「この人たちはほんとに永遠だ」って思える。それなのに、なんであなたたちが泣きそうなの。なんであなたたちが1番寂しそうなの。もうあと瞬き一つで溢れ落ちそうなくらいの涙で目を潤ませて、それでも笑うんだ。その笑顔は間違いなく嘘のない幸せを纏っていて。全力で叫ぶ「The Music Never Ends」は熱烈で切実で、この上ないほど力強い。そして何よりも強く逞しいのに、彼らはあとほんの数日で自らにピリオドを打つ。ずるいよ残酷だよ。なんでそんなに優しい顔してバイバイしようとするの。いっそのこと泣いてくれればいいのに。だなんて、「嵐無理しないで泣いていいんだよ」とか言いながら、いざ嵐の涙を見ると「泣かないでよあなたたちが寂しそうな顔するのはズルい」って言っちゃうの、なんだ私が一番ズルいじゃん。ね。

 

 

 

 アルバムの曲って本来TVでは歌わないじゃないですか。Mステなんてゴールデンタイムの音楽番組、ファンじゃない人だって見てる。だから誰でも聞いたことがある国民的アイドルの嵐を10曲も披露したわけで。

 それなのに最後の最後、「ファンに伝えたいメッセージを込めた曲」を、自らの意思で歌った。自分たちに求められることを察する能力がズバ抜けて高い彼らが、ゴールデンタイムのTVでファンの嵐であることを選んでくれた。その事実1つがどれだけ凄いことなのか、どれだけ嵐ファンが嵐に愛されているのか、考えるまでもなく明白で泣いちゃう。

 

 

 

 

 そもそも、活休前ラストになるアルバムの、1番最後に収録された曲が『The Music Never Ends』なの、めちゃめちゃかっこいいじゃないですか。

 

 「止まりたくない」「風速上げていきたい」

 

 この約2年間事あるごとに言ってた言葉たち。"いつ如何なる時も前を向いて進んでいく事"が、嵐自身が定義する嵐の姿ならば。活休前のラストアルバム、1番最後に収録された曲が『The Music Never Ends』なの、どんな言葉よりもよっぽど雄弁な『This is 嵐』の意味だよ。

 

 「"これぞ嵐"ってどういう感じ?」って聞かれたら、「最後の曲が『The Music Never Ends』」しか言うこと無いの。バチくそにかっこいいじゃん。わたしが嵐だったら(?)400字詰め原稿用紙10枚に長々も魅力を綴って世間からうざがられる。(知らない)

 

 これは12/9、最後になるだろうFNS歌謡祭で、マイクを置くのではなく取る演出から始まったのと同じ。言葉にせずとも、いや言葉なんかよりやっぱど雄弁な方法で伝えてくれるんだ。「いつだって嵐の現在地は"何かの始まり"」なんだと。誰が何を言おうと、世界がどう変わろうと、彼らがどんな決断を下そうと、いつだって嵐が立ってる位置がスタートライン。活動休止だって終わりじゃない、始まりなんだ。相変わらず嵐の意志が強すぎてゾクゾクする。いつ如何なる時も前を向いて進んでいく、その全くブレない姿勢。降参だよ。

 

 

 

 

 

 ところで、この記事の題名にもしている「We must go on次の景色へ」。このフレーズは5人の表情や声が清らかであればあるほど、温かな優しさと共に残酷さを纏うような気がしている。

 

 5人が今まで何度も何度も「まだ見ぬ景色を見たい」「みんなとだから見たい景色がある」と口にしている姿を見てきた。この「We must go on次の景色へ」って歌詞も、今までと何一つ変わらない、5人はこれからも見たい景色に向かって進んでいくって意味だと思う。だけど、"5人が見る次の景色はバラバラだ"だということに気づいた時、このフレーズに全力を込める5人の姿が途端に儚く切なく見えてしまう。

 

 嵐は今までずっと同じ場所に立って、同じ時を過ごして、同じものを見て、同じ明日を見据えて、同じ夢を見てきたわけで。「これから先もずっと一緒にいる」ことが前提で口にする「次の景色」と、「違う道を歩んでいく」ことを前提とした「次の景色」は全く違う。幸せそうに寂しそうに、愛おしげに切なげに、すぐそこにある分岐点を見据えて涙ぐみながら、それでも止まろうとはしない。止まることは許されない。こんな時まで、"いつ如何なる時も前を向いて進んでいく嵐"であることを曲げない。2021年以降も、5人は別々の場所でそれぞれが、いつ如何なる時も前を向いて進む、であり続けるんだろう。だって骨の髄まで嵐だから。

 

 

 交点の先へ進む彼らはこれから別々の景色を目指す。今この瞬間同じ場所同じ温度で「We must go on」と叫んでいるのに、進む先は違うなんて。それを知っていてもなお、眩しいくらい綺麗に笑ってみせるなんて。5人表情や声が清らかであればあるほど、最高に残酷で、最高に愛おしい。

 

 

 

 そして、5人が次の景色へ進むことを誓うと同時に、わたしたちファンにも一緒に進もうって言ってくれている、と思う。2020年に置いてなんか行かないよっていう強い意志を感じる。誰のせいで2020年に留まりたがってると思ってるんだよ。だけど、そんなにまっすぐな目で「一緒に行こう」って言われたら、前に進むしかなくなるじゃないか。わたしを2020年に留まりたいと思わせるのも、2021年に連れ出してくれるのも、嵐だよ。切なくて苦しいけど、やっぱり嵐がいいんだ。

 

 

 5人が描いていく、そして見ていくであろう別々の「次の景色」が、いつかまたリンクすることを願ってしまう。結んだ交点の先の、かき分けた道のその先でまた出会うことを。他の誰でもない嵐が「分岐点」を意識し始めた、そしてそれを誰よりも寂しそうにしている2020年12月の半ば。そんなのズルい、泣いちゃうじゃないか。胸が苦しくなって張り裂けそうになる。なるけれど、嵐が残していくものが何かは、ちゃんとわかっているつもり。ちゃんと握りしめてるよ。ほら、

 

 

 

「時を超え何度だって響くThe Music Never Ends」

 

 

 

 

 形を変えても、時代の風向きが変わっても、ずっとずっと、音楽は変わらずそこにある。彼らが歌っていたという事実は変わらずここにある。

 

 

 2020年の12月31日をもうすぐそこに控える今、5人が声を重ねた日が過去になる時が迫っていることも、嵐が残していく音楽はそばにあり続けてくれることもわかっている。だけどそれでも、嵐が嵐である今日に、今日しかない今日に、嵐に夢を見る。

 

 

 

 

 嵐の歌声よ、せめて今日だけは消えないで。

 

 

 

〜完〜