始まりはいつだってそう何かが終わること

 

 

 

Voyage最終回を見ましたって話をします。ネタバレはしてない。

140字にはまとまらないけどブログにするには少し短い、そんなわたしの記憶と思考の置き場所です。

 

 

ぼやじゃ最終回を見ててふと頭に浮かんだのが乃木坂46の『サヨナラの意味』に出てくる"始まりはいつだってそう何かが終わること"って歌詞なんだけど、これって「終わりは始まりだよ、だから躊躇うな」とかの、よくあるポジティブな応援の意味だとわたしはどうしても思えなくて。どちらかと言うと現実を突きつけてくるグサっとワード。わたし自身は乃木坂に詳しくないので、「乃木坂が歌うからグッとくるんだろうな」ポイントはわからないから勝手なことは言えないけど。この言葉自体はどちらかと言うと消極的なワードだよなあと、そう思うのです。

 

 今回のVoyageでの「2020.12.31の終わりから始まって、始まりで終わる構成」、「LIVEのオープニングを最終回のラストに持ってくる構成」がまさにそれ。「終わりは何かの始まりで、始まりは何かの終わり」言ってる事はどちらも大差はないはずなのに、「始まりは終わり」だと言われた方がなんだか切ない。ような気がする。

 

 ただこの『サヨナラの意味』という曲、わたしが挙げた部分の歌詞だけにフォーカスすると優しくないように思えるけど、全体を通して見ると「始まりはいつだってそう何かが終わること」は一周回って優しさなんですよね。むしろ優しさでしかない。

 

 

例えば「別れ=終わり」だとしてみる。

もしも歌詞が「終わりは何かの始まりだ」だったとしたら。

そうするとサヨナラは美化される気がする。別れに対する名残惜しさとか、別れの時までにできたはずの何かをやらなかった後悔とか、そういうの全て捨てて行けと背中を押されているような。終わり、すなわち別れと同時に、全部捨てて前を向かなきゃいけなくなる。綺麗さっぱりなサヨナラで、新しい心で何かを始めなきゃいけなくなる。

 

だけど「始まりは何かの終わりだ」にするとどうでしょうか。「サヨナラに強くなれ」という歌詞が全く綺麗事ではなくなると思うんです。名残惜しさも、後悔も、全部全部捨てなくていい。綺麗さっぱり全ての感情を捨てて笑顔でサヨナラなんてできなくていい。やるせ無さも未来への不安も離れ離れの寂しさも、全部ひっくるめて「サヨナラ」だから。全部ごちゃ混ぜな、全く綺麗なんかじゃない「サヨナラ」に強くなるんだ。別れることそのものに強くなれって言われてるんじゃない。別れに伴う全ての感情と向き合うことから逃げるなと言われてるんだ。逃げずに向き合え。強くなれ。

 

きっと嵐ファンの中にはわたしと同じように「嵐の終わりは5人の新しい道の始まり!」っていうポジティブな思いにはまだなれない人がいると思います。どっちかというと「5人の新しい道が始まった、ああ嵐は終わったんだなあ」なんじゃ無いだろうか(ここでいう終わりは深い意味はないです)。

 

けど大丈夫、Voyage最終回を見て少しわかった。「終わりは始まりだから吹っ切れ」なんて思わなくていいんだ。日常にちらつく虚無感とか寂しさとか、そんな決して明るくはない感情を無理して捨てることなんてしなくていい。始まりに伴う終わりに思いを馳せたっていい。しがみついて未来に進まないのはちょっと困っちゃうけどね、「終わり」に対して溢れる全ての感情、残したまま吹っ切らなくていい。それと向き合うことが「サヨナラに強くなる」ってことだと思います。

 

未来のどこかで今日を振り返る時、わたしは今この瞬間に感じている寂しさも虚しさも、全部残しておきたい。綺麗に修正なんかせず、剥き出しのまま思い出にしたいと思う。綺麗じゃない感情も、嵐がくれるものならそれすら愛したい、そう考えてしまうほどには5人に夢中。

 

いつになれば強くなれるかわからないし、「サヨナラを振り向くな」って歌詞もあるけれど。この「サヨナラ」を思い出にできるその時まではチラチラ振り向こうと思います。

 

 

例の如く何が言いたいのか結論が見えなくなって来たので終わります(唐突)

乃木坂46ファンの皆さん全く解釈違いだったらごめんなさい、個人の意見ですので何卒、、

 

では🤞🏼

(Enjoyのバイバイ)

 

〜完〜