光よ、永遠なれ。──松本潤PERSPECTIVE展の話

 

美しい人だ、と思った

 

もう人生で何回思ったかわからないけれど、展覧会に行ってもやっぱりわたしは、松本潤さんのことを美しい人だと思った、それも新鮮に。あれもこれも、とにかく彼は美しい。

 

円盤特典のドキュメンタリーとか、NHKのドキュメンタリーとか、それこそVoyageとか。あとは雑誌のインタビューもかな。そういった媒体で見る彼が「熱く本音を語る場面」を多く見てきたせいか、潤くんの思考回路を知った気になっていたのかもしれない。潤くんの思考に「敢えて」深く触れる場面って実は今まであんまりなかったんだよなと、展覧会を終えてから気づいた。

 

前から知っていたような、初めて知るような。そんな、決して揺るがない、けれども常に新しい美しさを纏う人だと思う。

目眩く速さで新しくなっていく彼のことをずっと追いかけていたいし、新しくなる毎に大きくなっていくその背中に、何度だって心を奪われる。

 

 

闇と光とか、過去と未来とか、後悔と希望とか。

真逆の、あるいは表裏一体の有象無象と共に生きる潤くんを、潤くんだけをじっくり見つめる時間の中で、松本潤とは一体どんな人間なんだろうかと、そればかり考えていたような気がする。

潤くんは「家康と自分の境界がわからなくなった」と言ったけれど。わたしは、松本潤という人間の輪郭がわからなくなった。

 

創造、発展、追求、矜持、情熱

 

どれも彼を構成する言葉として正解で、どれもやっぱり物足りない。だけれども、形容し難いまでのその強烈な輝きは、言葉で語られる必要もないような気がした。そのために、五感で彼を感じるこの展覧会があるような気さえした。

 

 

そしてただひたすらに、「光だ」と思った。

光そのもの。

 

過去に思いを馳せながら未来を語る潤くんの言葉は紛うことなき「今」の彼の想いで、確実に「今」を生きていて。展覧会も終盤のブースになって初めて、そういえばわたしが見る潤くんはいつだって刹那性に満ちていたじゃないかと、ふと思い出した。

 

星の光が長い時間をかけて地球を照らすように、「今」を生きる潤くんのエンターテイメントに対する想いは、何十年何百年先にも繋がって、いつかの誰かを照らすんだろうな。

光のような彼が見せてくれる「今」は、きっと永遠より長い。

 

 

実に美しい人だと思う。

泥臭く、孤独と隣り合わせで、絶やすことない炎を心に灯してエンターテイメントに向き合う彼の覚悟と闘志を知ってしまったから。一瞬一瞬のエンターテイメントに命を燃やす彼のしなやかな強さを、美しいと思ってしまったから。だからわたしは、彼の創造するエンターテイメントが繋がり続けていく限り、きっともう松本潤さんのことが永遠に好きなんだろうな。

 

ありきたりな言葉にはなってしまうけれど、松本潤さんが創造するエンターテイメントが、松本潤さんがエンターテイメントにかける想いが永遠となりますようにと、ただそれだけを、祈るように願う。

 

 

 

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