一旦のラストラブレター

 

 

 この文章を書いている、2020年12月31日、AM1:47。

 スマホをタップして液晶画面に表示された、ついに訪れてしまったこの日付を確認して眠気が吹き飛んだ。そして、日付を超えてから「嵐ジオ#13」を聴いた。これは特別な拘りでもなんでもなく布団に入ったのが日付超えた後だったから。TwitterのTLでチラッと見て「花」が流れることは知ってたから、妙にドキドキした状態で再生ボタンを押した。

 

 聞こえてきたのはいつもと変わらないオープニング。いつもと変わらない?そう、「いつもと変わらないな」と思ったのだ。しかしよく考えてみれば回数にしてたった13回、期間にすればたった3ヶ月。嵐ジオを聴いていた期間は、この長い長い嵐と過ごした時間の中のほんの少しだけ。それなのに、気づけば日常の1つになってた。突如現れた新企画だったはずの嵐ジオに、いつの間にか「いつも」を見出していた自分がいることに驚いた。

 

 

 

 思い返せばいつだって嵐はそうだった。気がついた時には日常の一コマだった。わたしが特別嵐ファンじゃない時から彼らの歌が流れれば口ずさめたし、チャンネル回してレギュラー番組が放送されていれば見たし、スーパーに行けばなんとなく「嵐がCMしてたな」の気持ちで商品を見た。嵐がいなきゃ生きていけない、とまでは思わないようなその辺の人間でも、嵐がいない日常を想像するのは難しかった。というかそんな事考えたこともなかった。だって嵐はいつでもそこにいるから。

 ファンになって、嵐が日常の一コマであることを「ありがたい」と思うようになった。大好きな推しに毎日のように会える日々、感謝する以外に無いだろう。すごく嬉しくて大切で、ありがたい日々。しかし、そうは言っても嵐がいない日常を想像するのは難しかった。というかそんな事考えたこともなかった。だって嵐はいつでもここにいるから。

 

 

 ここからはわたしの個人的な話になるが、人生観というと少し大袈裟なような気がするけれど、生きていく上での考え方の一つとして「変わらないものはない」を常に持っている。所謂無常観である、武士の時代とかによくあったやつ。

 それでも、そんなわたしでも嵐のことは永遠だと思っていた。思っていたというより夢を見ていたような気がする。ううん、見ようとしていたのかな。わたしは自分自身や世界に対してドライに生きている、というより生きるようにしている。そう、本当は夢が見たいのだ。大それた夢とか語ってみたいけど、そんな自分を殺してでも、無理矢理にでも地に足つけてないと死んじゃうと思っている。自分がそんな臆病な人間だから。だから、弱さや脆さ、その全てを5人で抱えて、海辺に咲いた花のように逞しく、強く美しく夢を描いて輝く嵐に、夢を見ていた。見ようとしていた。何年経っても変わらず大声で笑う姿に終わらない青春を見ていた。ううん、見ようとしていた。いわば願いだとか祈りだとか、そういった自分本意なものに近かったのかな。

 

 休止発表を聞いた時、びっくりしてパニックで訳わかんなくて。ただただ戸惑ってる自分がいた。そして、それなのにそんな自分を冷静に見つめている自分もいた。心のどこかに「ああそうか」ってストンと落ちていた。嵐とのバイバイなんて認めたくは無いし、それを認めている自分の存在はもっと認めたく無いけれど。それでも心のどこかで納得していた。会見で5人の表情を見て言葉を聞いて、「いつか必ず来るべき時だったんだな」と思った。細かいことは当時たった15年しか生きてなかったわたしには全くわからなかったけど。だけど、きっかけが何であれ嵐にはいつか決断の日が訪れなくてはいけなくて、それがついに来ただけのこと。そう思った。清々しいまでの納得。もちろん感情としては「やだ何でよ行かないで無理ヤダヤダ」なんて思った。でも感情とか理論とかを超えた、自分の心のどの部分なのかもわからない場所で、全くの別の次元で、ただただ納得する自分がいた。

 

 

 

 そして、わたしにはこの約2年勘違いしていたことがある。嵐が約2年もくれた理由の中には、「強くなってさよならするため」が含まれていると思っていた、ということだ。発表の日から少しずつ少しずつ受け入れて、強くなって、笑顔で「さよなら」って言うために。あるいは、いつになるかはわからない、はたまた来るかもわからない日に向けた「またね」を笑顔で言うために。彼らは「感謝を伝えるために約2年の期間を設定した」と言った。それだって本気の本気だろうけれど、やっぱりわたし達ファンに「強くなるための期間」を与えてくれたようにも思った。強くなって、寂しいなんて思わず笑顔でさよならしなきゃいけないんだ、そう思っていた。

 

 でも、強くならなくてもいいのかな、と最近思う。年末が近づくにつれてそれを強く感じるようになった。

 

 わたしが「強くならなくてもいいのか」とハッとした瞬間は、伝説の求婚、すなわちスワロフスキーのプレゼントが届いた時。嵐、ファンクラブ会員数とほぼ同じ数の宝石をバックに携えて1年間ツアー回ったんだよ。わたしたちのことを背負っててくれた。どの公演にも入れた人と入れなかった人がいて。だけどそんなの関係なく、全ての人の想いを背負って1年間走ってくれたんだ。

 「喜び悲しみ全てに寄り添いながら」とのちに歌う事になる嵐。そんな5人の愛と覚悟の大きさを実感して涙が止まらなかった。嵐はわたしの「笑顔で見送りたい」も、逆に「寂しい」も「悲しい」も全部知ってるんだ。そんなの全部わかった上で、愛してくれるし想いを背負ってくれる。「強くなるための期間」だなんて彼らは思ってないのかも知れないと、そう思った。5×20ツアーの1年以上、嵐や観客全員の、その空間で生まれた笑顔も涙も全部見守ったスワロフスキーがわたしの手元にある。一粒のスワロフスキーを見て「きっとこの煌めきが心の拠り所になる」って思った。嵐に寂しがっていいんだよって言われてるような気がした。実際二宮くんは「寂しいと思ってもらえるグループに入れて幸せ」と言った。あれで確信した。寂しいと思っていいし、言っていい。だって好きだもん。ね。

 

 多分、本当の本当に彼らにとってこの約2年間は「感謝を伝えるための誠意の期間」で、それ以上でもそれ以下でもないんだろう。嵐にとってはただそれだけ。わたしが強くなるとかならないとか、そんなの嵐は気にしない。「寂しい」と声を大にして叫んでしまう弱いわたしでも愛してくれるくらいに、嵐は強い。覚悟を決めた男の本気を舐めちゃいけないね、今の嵐、最強だもん。強さがどうだなんてわたしが勝手に考えて、できない自分に勝手に落ち込んでただけだった気がする。

 

 そうやって思って強くなるのをやめた。嵐への寂しいって思い、諦めるのを諦めた。諦めるのを諦めたら、ものすごく心が楽になった。歌い踊る5人をみて寂しいと思えば素直に「寂しい」と口にして、バラエティ番組で爆笑する5人が好きだと思えば「好き」と口にした。弱いままで今を受け入れようとしたら、等身大の自分でできるところまでやろうとしたら、少し楽になった。きっとこれから弱い自分のせいで辛くて寂しくて仕方なくなると思う。でも、そんな時には嵐の1年間を、200万人以上の笑顔と涙を吸い込んだスワロフスキーを見て、嵐の名前を呼ぼうと思う。強くはなれなくても、ちゃんとわたしには味方がいると思えるから。そうやって少しずつ少しずつ、新しい日常に強くなろう。

 

 だから、とりあえず今日は今日しかない今日に全力を注ぐ。「いろんな感情をごちゃ混ぜにして全部渡すから」と語ってくれた潤くんの、嵐からの信頼に応えようと思う。楽しもうね、約20時間後の自分。

 

 

 

 

 

 この文章を書いている、2020年12月31日、PM18:00。

 15:30くらいから2時間くらい、大好きで大切な嵐友達とビデオ通話をした。皆んなで嵐縛りのしりとりしてゲラゲラ笑って。気づけば「しんどいねえ」なんて言って皆んなでしんみりしてた。「ヤダヤダヤダヤダ」って、家族にも学校の友達にも見せられない我儘で聞き分けの悪い子どものような本音を溢した。そしたら少し楽になった。止まることなく進んでいくこの世界に取り残されるような気分でいたけれど、ちゃんと1人じゃないと気づいて楽になった。この楽になれる場所も嵐がいなきゃ出会えなかった友情なんだと思うと、やっぱり嵐を好きになって良かったと思った。嵐のせいでこんなに苦しいのに、やっぱり嵐がわたしの心を楽にしてくれる。大好きで大嫌いで、やっぱりたまらなく大好き。

 

 18:00前にご飯を食べた。お蕎麦ってこんなに食べにくかったっけ?って思って、自分の喉が食べ物を拒否してることに気づいた。食道なのか胃なのかわからない部分が妙にムズムズ、ムカムカして、家族の手前無理やり飲み込めばそれと引き換えみたいに涙が溢れた。でもやっぱり家族の前では泣かなかった。そういえば休止発表の日もそうだったなあ。なんなら胃腸炎みたいなところまでいった。でも家族の前では泣かなかった。臆病な上にちょっとカッコつけたい拗らせた人間だからさ、自分をよく知る人にこそ涙を見せたくない。めんどくさいなあ自分、自分で自分に呆れて笑っちゃう。あとで嵐の前で泣きなね、翔くんは女の子の潤んだ目に弱いらしいし、ちょうどいいね。(ここに来てまであほ)

 

 もうすぐだね、二度と戻れない夜の中でいつまでも語り続けよう。永久と希望の歌?たとえ今だけとわかっていても?

 なんでこんなに嵐にぴったりなんだよ。悔しいくらいに輝いてる。さあ覚悟を決めろ自分。幸せになってね、自分。幸せにしてもらってね、自分。嵐を幸せにしてね、自分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 この文章を書いている。2020年12月31日、PM23:40。

 不思議と泣いていない。いや、正確に言うともう泣き止んだ。なんだろう、悲しくて悲しくて仕方がないお別れだと思ってた。実際悲しくて寂しくて仕方ない。だけど、まさか智くんが「またね」って言うとは思わないじゃないですか。それを聞いて「喪失感」と言うものが少しだけ軽くなった。と言いながら、きっと嵐がいない日常にまたメソメソするんだろうな。でもきっと智くんの「またね」を思い出せば生きていける。

 でもやっぱり潤くんの涙も翔くんの涙もダメだった。ずるいじゃん。翔さん、貴方の涙はわたしの想像通り、ううんわたしが想像したよりもずっとずっと美しいものでした。泣かないように堪えて、何度も何度も堪えて、「ああこの人は今日も泣かない強い櫻井翔でいようとしてるんだ」と思った。それが貴方らしくて好きだなあと思った。翔さんにとっても予想外だったんじゃないかな。一筋の綺麗な涙だけを残していくだなんて。ね。大丈夫です、貴方の涙は綺麗だった。明日も君が君でいられるための涙に祝福を。「いつか笑ってまた再開」、貴方が紡いだ言葉がこんな風に貴方自身に重なる時が来るとは。どうか、叶いますように。君の夢よ、叶えと願う。

 

 ねえ潤くん、捧げ切ったね。全てを犠牲にして嵐に捧げてくれて本当にありがとう。ライブのクオリティが上がれば上がるほど、求められるものが高度になればなるほど、極めていけばいくほど嵐に捧げる部分が大きくなっていった潤くん。貴方が全てを捧げきった今日のこの日、本当に全てが一旦の終わりを迎える瞬間に流した涙は、報われた証かな。セトリを組むために1人で何回も何百曲を聴いたんでしょう。懐かしんだり苦しんだり、そういう気持ちを繰り返しながら、一生懸命にやってくれたんでしょう。その涙、貴方の努力が苦悩が犠牲が全部、報われた証だといいな。うん、そうだといい。「愛するものを殺す」と口にした貴方の気持ちは、わたしなんかには到底想像もできない。アイドルになるために生まれたような、アイドルに全てをかけて生きてきたような、アイドルであることに誇りを持って生きてきたような人間が、アイドルを離れる。相当の覚悟と愛を持って、潤くんは今日を迎えたんだろう。だから貴方の全部が報われて欲しい、報われた証の涙であって欲しい。そうであってほしいと、心の底から思う。本当に本当にありがとう。どこまでもアイドルを突き詰めた必殺仕事人な潤くん。わたしのスーパーヒーロー。大好きだよ。

 

 

 やっぱりわたしは嵐のせいで寂しいし、悲しいし、つらい。だけど、嵐のおかげで嬉しくて、楽しくて、幸せ。「またね」ってこんなに優しい言葉なんだね。夢の続きを、またいつか始めよう。戻ってきて欲しいと強く強く思うけど、押し付けたくなんかない。だから、わたしの手のひらに収まる大きさで、わたしがわたしのために、夢として持っていようと思う。この手に握っていようと思う。「夢は、また嵐に会えること」。夢だけ持ったっていいでしょ? 

 

 

 

 潤くんの言葉の通り、嵐が残した「音楽」はこれからもいつだってわたしのそばにいる。時を超え何度だって響く、The Music Never Ends。この言葉を残していく嵐は本当にズルいね。参ったよ。音楽だけじゃない、嵐がくれた嬉しい寂しい楽しい苦しい、そんな感情も全部、永遠にわたしの中にある。この記事の序盤に、嵐は永遠だと思っていたと書いた。撤回しよう。わたしは今も、嵐は永遠だと思っている。嵐が残すもの、残さず持っていくもの、全部全部含めて、嵐が21年かけて作ってきた「嵐」と言う概念、それは永遠だよ。そう、Never End。

 

 正直「またね」を言っていいのかわからなかった。言ったとしても、願いに近い、効力を持たないものじゃなきゃいけないと思ってた。だけど大野智に「またねっ!」て言われるとさ、こっちだって「またね」しか言えない。「またね」が言えなかったのに、今はもう「またね」しか言えない。そんな自分が情けないけど、またねが言えて幸せ。またね。

 

 

 

 

 二宮くん嵐にまだまだ未練だらけじゃんとか誰もこれ以上何も二宮くんから取り上げないでねとか相葉くん貴方だって人としてトップだよとか、言いたいことはいっぱいいっぱいあるはずだけど、どんなに考えても、嵐に伝えたいことは全部

 

ありがとう

 

大好き

 

愛してる

 

に帰結する。もっと上手く伝えられたらいいのに。でも、上手くなんて伝えなくていいように思う。そうだよね。弱いままでいいってさっき決めたじゃんね。だから、ありのままのわたしを嵐に捧げよう。

 

 

 最初で最後の一番で、唯一。それが嵐でした。大好きでした。

そして、きっとこれからも変わらず嵐です。

 

 

 

大野智さん、櫻井翔さん、相葉雅紀さん、二宮和也さん、松本潤さん。

 

 

 

 ありがとう。

 

 

 

まるで光に溶け込むように去っていった5人の新たな航路が、幸せに満ち溢れていますように。嵐に出会えてよかった。

嵐の後には虹がかかるし、星が瞬くよ。大丈夫。その景色はわたしが、わたしたちが、ちゃんと見てる。糸を繋げておけるようなわたしでいたい。いる。いるから、だから、どこまでも飛んでいけ。

そしてかき分けた道の先で、また出会うといいな。

 

 

 

 

いってらっしゃい。

 

 

 

 

 

この重くて長いラブレターの最後の最後に、やっぱり大好きなこの歌詞を5人に送りたい。

 

 

 

 

いつかまたね、交点の先で。

 

 

 

 

嵐、大好きだよ。ありがとう。お幸せに。

 

 

〜完〜